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福田総理誕生の裏でうやむやになるのか安倍氏辞任の真相

 小泉政権誕生以来思考停止状態が続いている自民党は今回も目覚めることなく、福田総裁を誕生させてしまった。誰も彼もが勝ち馬に乗りたがるのは最近の日本人の傾向だが、政治家までもが同じレベルになってしまったようだ。とはいえ、このようにしたのは小泉氏だが、今回の福田政権誕生に一役買った戦犯は誰あろう麻生氏自身でもあった。
 「安倍の次は俺」という過信が招いたまさかの福田総裁誕生である。確かに演説は麻生氏の方が格段にうまい。しかし、麻生氏の喋り方からは(あの口の歪みから受ける不誠実、奢りのイメージは別にして)小泉ー安倍につながる、いやそれ以上に強権的なものを感じさせた。その姿勢が反発を招いたのは否めないだろう。

 ただ麻生氏が総裁選で「古い自民党と、小泉改革以来の新しい自民党との再試合だ」と、派閥主導の選挙を批判したのは大衆受けする言葉で、実際には派閥手動の選挙でなかったのは結果からも明らかである。
 福田氏が言っていたが、いまの派閥は「政策研究グループ」でしかなく、昔のような一枚岩的なまとまりはすでに失っている。それは一人一人の議員に誓約書まで書かした町村派からもかなりの麻生支持票が出たことでも分かる。派閥がかつての力を失ったのは小泉政権からで、「自民党をぶっ壊す」といった小泉氏が「党」の代わりに「派閥」を「ぶっ壊した」というわけだ。

病気辞任説は本当か?

 まあ、それはさて置き、24日の安倍首相の記者会見でも辞任の真相はいまひとつはっきりしなかった。
 巷間言われていることを裏付けるように、安倍氏本人の口からも「この一か月間、体調は悪化し続け、自らの意志を貫くための基礎となる体力に限界を感じるに至った」と、病気理由辞任が強調されただけだ。
 やつれた顔と消え入りそうな声を見聞きし、この国の「心やさしい国民」は「そんなに体が悪かったのか。おかわいそうに」と同情し、事の真相から目を逸らしつつあるが、都合が悪くなると病気入院するのは昔から使い古された手だ。
 誰も今さら真に受けはしないだろうが、それでも病気理由辞任が繰り返されると公式にはそいういうことになってしまう。すでに福田内閣発足で自民党内では安倍首相の突然の辞任理由は病気が原因ということで幕引きを図りつつある。
 良くも悪しくも過ぎたことは水に流してしまうのがこの国の国民の癖である。そしてそれこそが相手の思う壺で、周到に計算された演出だとは思わないのだから不思議だ。

説得力がある「お坊ちゃま」辞任説

 もちろん、病気辞任説を額面通りに受け取っていない人々も多くいる。
彼らが病気辞任説の代わりに信じているのは「お坊ちゃま辞任説」だ。
小さな子供が遊びに飽きたら、「もう辞〜めた」と投げ出すやり方とそっくりだというわけだ。
 わがまま放題に育てられた子供は欲しいおもちゃを手に入れるまで泣き叫ぶが、少し遊ぶともう飽きて、あんなに欲しがったおもちゃをポンと投げ捨てて興味を示さなくなる。安倍氏の唐突な辞任はまさにこれと一緒だというわけだ。
 確かに似ている、というか、そう説明されれば万事に納得がいきそうだ。参院選の大敗北の責任を取り、辞めるべきだと周囲から意見されても、「いやだ。ぼくは辞めない!」と駄々をこね、周囲の大人も確固たる態度で接することはできず、「分かった、分かった。そんなに言うならもう少しだけお遊び」となだめて欲しいものを与えたが、手に入れると途端に飽きて「もうこんなもの要らない」と投げ出してしまった。

 この説明は一見合理的に聞こえる。
しかし、いくら幼児性が抜けないといっても一国の首相を「お坊ちゃま」と例えられては困る。もしそうなら、そういう幼稚な人物を国のトップに据えた自民党の存在そのものが問われる。政権担当能力がないことは明白で、そうなれば政権を他党に明け渡さなければならない。
自民党としてはそんなことはできないので、「お坊ちゃま辞任説」は絶対認めることができない。とすれば党としての公式見解は「病気辞任説」しかなくなる。
 病気なら病名がいる。仮にも一国の首相である。朝青龍のように得体のよく知れない医師による、訳の分からない病名は付けられない。多少なりとも納得できる病名が必要だろう。そこで出てきたのが機能性胃腸炎だ。
 しかし、朝青龍のように「ぼく病気なんだも〜ん」と引き籠もってばかりいると、今度は師匠や相撲協会(自民党)の責任が問われてくる。それだけはなんとしても避けねばならない。というわけで、設定したのが24日の辞任会見。これで幕である。安倍氏に残された道は政界引退しかないだろう。次期、選挙に出馬せずに政界から身を引くに違いない。
 こう見てくると頭のいい読者はある人物のことを思い出しているに違いない。そう細川元首相のパターンとそっくりなのである。細川氏もある日突然「もう辞〜めた」と首相の椅子から降りてしまった。しかし、両氏がそっくりなのはわがままな「殿様」と「お坊ちゃま」という部分ではない。隠された辞任の理由なのだが、そのことはもう少し後に明らかにする。

官僚とのコミュニケーション不足

 たしかに安倍内閣は発足当初から閣僚の不祥事続きに泣かされた。なかでも農水省は鬼門といってもよかった。
 事務所を光熱水費がかからない衆院議員会館に置きながら、毎年500万円前後の光熱水費を計上していた問題を突かれ、「なんとか還元水」を使っていると訳の分からない説明をし、やがて説明に窮すると自ら命を絶った松岡利勝農水相に始まり、資金管理団体が農林関係団体から寄付を受けながら政治資金収支報告書に記載していなかったり、実家を主たる事務所として届け出て、05年までの10年間に計9,000万円の経常経費を計上していた赤城徳彦農水相の辞任、自らがトップを務める農業共済組合をめぐる補助金不正受給問題で辞任した遠藤武彦農水相と続けば安倍氏ならずとも嫌になり、「も〜辞〜めた」と言いたくなりそうだ。
 そういう面では多少同情したくもなるが、問題は安倍氏のリーダーシップだ。赤城農水相の時は最初「問題ない」とかばいながら、参院選で大敗すると「改造内閣では再任しない」と突き放した。
 すべてがこんな具合でトップとしての資質に欠けていたが、最も問題だったのは遠藤農水相の時だ。組合の補助金不正受給の件はすでに数年前から指摘されていたことで、農水省の幹部職員達も知っていた。ところが安倍政権を支える「お友達」は官邸主導にこだわり、官僚とのコミュニケーションを欠いていた。そこに持ってきて若い彼らは官僚組織の中にネットワークを持ってなかった。そのため官邸に情報が上がってこなかったのだ。
これは組織の未熟さがなした技である。

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直接の引き金は安倍氏自身の3億円脱税疑惑

 こう見てくると、いくつもの要因が複雑に絡み合って、最後は安倍氏自身の気力が萎えたと思えなくもない。仮にそうだとしても、それでもなぜ? という疑問は残る。
なぜ、所信表明演説前ではなく後なのか?
なぜ、9月12日なのか?

 麻生氏自身は所信表明演説をした2時間後に安倍氏自身の口から「辞めたい」という相談を受けたといっているから、巷間言われているように、あるいは安倍氏自身が辞任の直接的引き金と示唆している「本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと」したが、「実質的に断られてしまった」ので「局面を転換しなければならない。新たな総理のもとでテロとの戦いの継続をしていく、それを目指すべきではないだろうか」と考え、辞任を決断したというのは後付の理由だということが分かる。

 ここで重要なのは、所信表明演説をした時はすでに辞める決意をしていたということである。
 では、なぜその前に辞めなかったのかということだが、閣僚辞任の際にも見られた優柔不断さで、ずるずるときたということだろう。そしてにっちもさっちもいかなくなって逃亡せざるを得なくなったのが12日ということだ。
 政治家に限らず、こういう場合の逃亡先は入院と決まっているが、問題は逃亡原因である。

 ちょっと思い出して欲しいのが、前出の細川元首相の辞任である。彼も国会会期中に突然辞任した。「もう辞〜めた」と政権を放り出したように見えたが、本当の理由は自身の政治資金疑惑を追求されたからだ。
 細川氏は良くも悪くも「殿様」で、熊本県知事時代も目立つこと、格好いいことが好きで、県知事に就任して8年目に、「権不十年」といわれるように権力は知らず知らずのうちに腐ってくるからと、突然知事を辞めてしまった。言葉は格好良かったが、実のところ蒔いた種を刈り取る時期に来て成果を問われる(政策の負の面が出る)のが嫌で、その前に辞め、東京都知事に転身したかったという説もある。

 細川氏だけではない。田中角栄も竹下登も辞めた議員は皆金に絡んでいる。とすれば今回の安倍氏も本当の辞任理由は実は金ではないかと疑われる。(すでにこのことは9月15日のリエゾン九州例会の冒頭挨拶で、安倍首相辞任の理由は脱税問題と指摘しておいた)
 安倍政権のアキレス腱は「政治家と金の関係」である。次々に辞任した閣僚はすべてこの問題での説明責任が果たせなかったからである。
安倍改造内閣では全閣僚に説明責任が果たせないなら即刻辞めてもらうとまで言い切っている。
 ところが、こともあろうに自分自身に火の粉が降りかかってきたのだ。しかも3億円の脱税疑惑というから、金額の多さからしてもそれまでの辞任大臣とは比べものにならない。週刊誌記者が安倍氏の地元で取材しているという情報に安倍氏は怯えていたという。
 週刊誌は複数誌が安倍氏の周辺を取材していたようだが、「週刊現代」が安倍氏に質問状を出し、回答の期限としたのが「12日」だったのだ。
ほかの閣僚に対しあれだけ厳しく言っていたのに、その張本人が父、安倍晋太郎から後援会組織を受け継ぐときに3億円もの脱税をしていたとなれば逃げようがないだろう。「付け忘れ」とか「うっかりしていた」というにはあまりにも多い金額である。
 12日が近付くにつれ、安倍氏の頭の中はこの問題で占められていたのではないか。辞任会見の時の心ここにあらずという様子もそう考えれば納得できる。
結局、この問題の追及から逃げるには入院しかなかったわけだが、入院、病気治療で一時的には逃避できても最終的にこの問題から逃げることはできないだろう。とすれば、残された道は人々の関心が薄れるまで病気治療を続け、後は議員引退というパターンだろう。次期選挙には出馬しないと私は読んでいる。


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