Google

 


トヨタの失敗を他山の石に(3)


1クッション入れたことがプラスに

 もう1点、幸運だったのは章男氏の英語力があまりなかったことだ。
これも10年前の公聴会から学習した結果なのかもしれない。あの時フォードと一緒に公聴会に呼ばれたブリヂストンは英語が話せる人間の方がいいだろうと判断し、本社の社長ではなく米子会社ブリヂストン・ファイアストンのCEOを出席させた。これが裏目に出て、公聴会で厳しい追及を受けることになったのだ。
 同じ言語同士の方が言葉のやり取りはスムーズにいく。言葉の意味が互いに分かるからだ。その分テンポも感情移入も速くなり、揚げ足取りな部分も含め追及は厳しくなる傾向がある。結果、ブリヂストンは多額の損害賠償を抱え苦しむことになった。

 トヨタがこの時のブリヂストンを反面教師にしたかどうかまでは分からないが、公聴会では冒頭の説明以外は通訳を入れ、章男氏が日本語で述べたことが功を奏した。
通訳するという1クッションが入ることで、追求側がパンチを連続で繰り出せなくなった。その分、冷静な議論になったのはトヨタにとって幸いだった。
 外国で交渉する場合、この点は大いに参考にしたいものだ。怒りや不利益を伴うことは冷静な議論をする必要があるし、そういう環境を整えてからやるべきだろう。

 さて、トヨタはここまでそれ程のダメージを受けずに来ることができた。だが問題はこれからだ。1種の政治ショーといわれる公聴会より、大陪審での審理の行方に今後はかかっている。その結果によっては多額の損害賠償を抱え込むことにもなるので、実害は大きい。
 もう一つはジンクスめいた話だが、フォードもブリヂストンも公聴会出席後1年以内にトップが退任している点だ。トヨタも販売不振が続けば当然トップの責任論が出る可能性はある。
 そうならないためには一にも二にも今後章男氏がリーダーシップを発揮できるかどうか、トヨタという会社が言葉だけでなく、組織体制も含め真の意味でグローバルカンパニーに脱却できるかどうかにかかっている。

急拡大の裏に潜む陥穽

 残念なことだが車にとってリコールは避けられない問題のようだ。とするなら、次善の策は問題箇所が出てくれば速やかに明らかにし、リコールすることだ。ところがトヨタに限らず自動車メーカーの対応はこれとは程遠い。むしろリコール隠しとでもいえる対応があることだ。
 ユーザーから不具合の指摘を受けディーラーで修理している例は多い。ディーラーや修理工場は多発している不具合を知っているが、個別に対応するのみで組織的に対応する体制が取られていない。そのため不具合箇所が出ることを知らずに乗り続けているユーザーは結構多いだろう。
 特に問題なのは初年度登録後数年が経た車だ。新車購入後1、2年以内は車の状態に敏感なユーザーも、数年後の不具合の場合は欠陥との認識が薄くなる。長年乗っているから仕方ない、部品の耐用年数がきたのだろう、などと自らを納得させ我慢するケースもあるに違いない。結果、問題箇所の存在を知らずに乗り続け大事故になることもある。そうなってからの対応では遅い。
 リコールという処置にまでいたらなくとも、問題箇所が明らかになれば全ユーザーにそのことを通知し、修理を呼び掛けるような対応を取るべきだ。
 こうした対応こそがユーザーから信頼される方法である。

 トヨタの変質を指摘する声もある。
トップ企業を目指しだした頃から変わった、と。
量的拡大が質的変化、この場合は「質の低下」だが、をもたらしたのだ。
過去、量の拡大に走った多くの企業が同じ道を辿ってきた。気が付いた時には市場から消えていた企業もある。
トヨタといえども例外ではない。
崖っぷちで奇跡の生還を果たせるのか、それとも同じ道を歩むのか。
そのことこそがいま問われている。

 それにしてもつくづく思うのは、人間は反省しない動物だということだ。
バブル期の反省で量の追求をやめ、質を重視する方向へ移行するかと思ったが、そうはならなかった。
 そして1昨年のリーマンショック後に世界の潮目は変わるのではと思ったが、相変わらず先人が突き進んだ同じ道をひた走る企業が多い。
 喉元過ぎればなんとやらで、過去の歴史に学ぼうとしないのか、それとも俺だけは違うと思うのか・・・。
 人も企業も伸びている時にこそ陥穽が待ち伏せている。
好事、魔多しの諺がある。絶好調の時ほど注意したいものだ。


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る