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トヨタの失敗を他山の石に(2)


派閥争いが対応の遅れを

 クレーム処理は遅れれば遅れるほど傷が深くなる。
そのことはトヨタも分かっていたはずだ。
にもかかわらず対応が遅れたのはなぜか。
その裏に派閥争いを指摘する向きもある。
創業家派と反創業家派の争いである。
 創業家派はトヨタという会社より、社長就任間もない章男氏を守ろうとした。そのことが対応の遅れを招き、不信感を増幅させた。
結局、もはや社長が前面に出る以外にない所まで追い詰められ、やっと章男氏が出てきた。これ以上、章男社長を守ることはトヨタという会社を潰すことになるやもしれないというギリギリのところで判断したのだ。

 ここで思い出すのは章男氏が社長に就任した時の言葉だ。
 彼は「ビジョナリーカンパニー」の著者、ジェームズ・C・コリンズ氏の企業没落5段階説(第1段階「成功体験から生まれた自信過剰」、第2段階「規律なき規模の追求」、第3段階「リスクと危うさの否定」、第4段階「救世主にすがる」、第5段階「企業の存在価値の消滅」)を引用し、「第4段階からでも復活はできます。その鍵を握るのが人材です。救世主は私ではありません」と警鐘を鳴らしたのだった。
 「なにをいまさら創業家」という反発も社内にあっただろう。トヨタは私企業ではない。上場企業であり、グローバルカンパニーでもある。「豊田」の姓を名乗るだけで求心力がある時代ではない。章男氏自身そのことをよく知っていたはずだ。だからこそ「救世主は私ではない」と言ったのだ。
 ところが「豊田」という創業家の名前が公聴会を乗り切る手立てになったのだから皮肉としか言いようがない。

フォードの先例にならう

「すべてのトヨタ車には私の名前が入っています。車が傷つくということは私自身の体が傷つくことに等しいのです」
 豊田章男氏は公聴会でこう述べ、再発防止を誓った。
記憶力のいい読者はこの言葉を耳にした瞬間、デジャビュに襲われたような感覚を覚えたに違いない。
 2000年、ブリヂストン・ファイアストン製タイヤを着けたフォードのスポーツ型多目的車(SUV)が横転する事故が相次いだ。その時、公聴会に呼ばれたのが会長に就任間もないビル・フォード氏(創業者、ヘンリー・フォード氏のひ孫)だった。
 彼は厳しい追及を受けつつも「すべてのフォード車には私の名前が付いている」と述べ、信頼に努めたのだ。その後、積極的にTVCMにも出演し、イメージ回復に努めた結果、フォードは最悪のシナリオを脱したのだった。

 トヨタは今回、この時のフォードのやり方を真似た。
「柳の下にいる2匹目のドジョウを狙う」のはよくあることだが、クレーム処理に出遅れた分、トヨタは「2匹目のドジョウ」を期待して先人の成功例を研究し、それを模倣したのである。
 これは別に悪いことではない。いいと思ったことは徹底的に真似た方がいい。それで危機を脱せるなら、物真似といわれようと、2番煎じといわれようと構わないだろう。
 ただ公聴会の直後、全米ディーラーの前で挨拶した章男氏が「私は一人ではなかった」と述べ、一時声を詰まらせ、涙を浮かべたのは彼らにどう受け止められたのだろう。
 日本ではトップの涙に同情し、どちらかといえば好感を持つ人が多いが、リーダーシップ論から見ればどうだろう。少なくともグローバル企業のリーダーとしては逆に弱さの方を印象づけたのではないかと思うが。
                                                 (続く)


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