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安楽死・尊厳死について考える。(2/2)


グレーゾーンが生まれる

 弟の死は尊厳死、安楽死のどちらだったのか。安楽死でないことはたしかだが、尊厳死だと言い切れないものもあった。それはブリタニーさんの死と似た部分、自ら死期を決めたという意味で、があったからだ。
「兄貴にもう一度会ってから」。弟は医師にそうお願いしていた。その「お願い」の中身が知りたくて医師に尋ねると、起きていると痛みがひどいので、できるだけ寝ていられるようにして欲しいということだったので、そういう注射をすることにしたということです、と打ち明けられた。
 その時は鎮静剤を打つのだろうぐらいに理解していたが「なかなか嫁と子供が了解してくれんかったけど、やっと了解してくれたから」「先生には、兄貴が今週来ると言うてるから、その後始めて欲しい、とお願いした」という言葉に少し引っかかるものがあった。
 確かに痛み止めの貼り薬はほぼ限界枚数に達していたが、それでも妻の時と比べればまだ弟の痛がりようはましなように思えたから、「痛くてたまらんから永久の眠りに就きたい」という言い方は少し大袈裟にも思えた。
 だが、その言葉通りに私と会った翌日から弟は眠ったままになり、1週間後、静かに旅立った。

 弟は延命処置は拒否していたし、弟の求めに応じて私が会いに飛んで行った時はすでに点滴のみで栄養補給している状態だったから骨と皮に近い状態まで痩せており、もって後1か月。2か月もつだろうかと思われた。それにしてもそれから1週間はちょっと早過ぎる気がした。
 覚悟の尊厳死である。それでも最後に処方された鎮静剤は何だったのだろうかと気になったので、後になって調べたり、家族の話を総合した結果、どうもプロポフォールではなかったのかと推測している。
 プロポフォールは全身麻酔などに使う鎮静剤で、この薬を注射すると意識はあるが、こちらからの呼びかけ等には反応しなくなる。看護師が「聞こえていますから、お兄さん、話しかけて下さい」と言ったのも納得できる。ただ、弟にとってはそれは少し意図したところと違っていた部分で、「そうか、話すこともできなくなるんか。それは辛いな」と家族に言ったらしい。最後まで家族と会話しながら徐々に衰弱していきたかったのだろうが、最終的には痛みから逃れる方を選択したのだった。

 誰もが体中管に繋がれ、機械によって生かされるのは嫌、そこまでして生かされたくはないと思うに違いない。
 しかし、そうならないためには意識があるうちに、自分の意思を伝えておく必要があるのはもちろんだが、今後、薬の発達により尊厳死と安楽死の境界が縮まっていくのではないだろうか。グレーゾーンともいえる部分が生まれてくるような気がする。すると、そこに恣意的な部分も働いてくるかもしれない。恣意性がすべて善でも、すべて悪でもないだろうが、そのチェックをどのようにするのか。「高い倫理観が求められる」と言うのはたやすいが、「倫理観」も立場によって異なってくる。患者側に立った倫理観か、家族側に立った倫理観か。さらには経済性も入ってくる。
 冒頭のブリタニーさんの死が世界中でこうしたことを考えさせる大きなきっかけになったことは間違いないだろう。
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