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視聴率の罠とメディアの罪(2)


週刊誌的になった新聞

 とまあ、こんな具合でメディアが騒いでいることにいまひとつ合点がいかなかった。
なかでも毎日新聞が2月6日付紙面の1面と中面で、この騒動を取り上げたことには少なからず違和感を抱いた。
 この種のネタは週刊誌記事というと語弊があるかもしれないが、全国大手新聞が1面で扱う話ではないだろう。中面で触れるだけならまだしも、あたかも大事件であるかの如く1面に持ってきただけでなく中面でも扱ったのだから、毎日新聞の感性を疑わざるをえない。
 新聞のフロント面はその新聞の文字通り顔であり、政治、経済、あるいは全国民的関心事などもっと大局的な観点の記事を載せるページのはず。あいにく他紙の6日の紙面を見ていないので、他紙がどのように取り扱っていたのか分からないが、最近の新聞紙面がこのような傾向にあることは総じて言えそうだ。

 100歩譲ってこの騒動が全国民の一大関心事だったとしよう。仮にそうであっても、騒動のきっかけ、背景、問題点をきちんと整理し、分析すべきではないか。
 私自身は佐村河内氏も彼が作曲したとされていた曲自身も知らなかったが、佐村河内氏を有名にしたのはマスメディアのようだ。それもNHKが昨年3月に「NHKスペシャル」で「魂の旋律〜音を失った作曲家」と題して放送したのがきっかけで、彼がメディアその他の注目を集めるようになったらしい。
 それならば、責任は虚像を作り上げ、拡散してきたメディアの側にあるのではないか。
 放送各社の間には格付けに似た意識があり、NHKは民放各社とは別格と捕らえられているし、国民の中にもそうした意識がある。それは日本放送協会という正式名称からもある程度分かるように、日本の公共放送を担う事業者なのだ。NHKは民放各社のように収益源である広告スポンサーの意向や視聴率を気にすることなく番組を作れると思われているが、実はそうではない。彼らは民放と同じ程度に、あるいはそれ以上に視聴率を気にしている。そこに演出の要素が入り込む余地がある。

 視聴者はドラマを好む。他人の不幸は蜜の味と言われるように、幸せな物語より不幸な物語を好む。さらに好まれるのは不幸な運命を乗り越えて成功する物語である。視聴者は映像の向こうの人生に自らを重ね合わせながら、自分もかくありたい、あったらと思いながら感情移入して見ている。
 作り手の側はそんな視聴者を常に意識しながらドラマ(映像に限らず)を作っている。単純な対決より、ありえない対決、簡単に決着が付くものより決着が付き難い対決、五体満足な人間より、障害を持ちながらそれを乗り越えて行く物語を作ろうとする傾向がある。その方が視聴者が感情移入しやすく、視聴者の共感を呼ぶ(視聴率を稼げる)からだ。
 しかし、そんな物語がどこにでも、いくらでも転がっているわけではない。それならばと少しばかりの脚色、演出を加えて感動物語を作ろうとする。結果、「ホコタテ」番組に限らず「演出」やヤラセが行われることになる。
 それでも娯楽番組の場合は多少許される。視聴者がそれを織り込み済みで見ているからだ。だが、見る側が冷めてくると番組が飽きられていく。視聴率が下がれば制作側はよりウケを狙い、見え見えの演出、ヤラセから、ドキュメント的な手法に近づけようとする。こうして徐々にドキュメントと娯楽番組の境目がなくなっていく。
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