老人力が付いたと素直には喜べない


 最近、話をしていて固有名詞が出てこなくなった。いや、最近などと誤魔化さず正直に言えば、もう数年前からいろんな名前が出てこない。特に俳優の名前なんかは全くと言っていい程出てこない。それでも「○○の映画に出ていた俳優」とか「△△と結婚していた役者」と言っているうちに互いに思い出してきて、「ああ、○□ね」ということになる。
 大概はこれで済む。ただし、それは同年輩と話をした時や、共有するベースがある相手の場合で、そうでない相手とは全く意思疎通ができない。
 十年一昔というが10歳ぐらいの歳の差ならまだダブっている時代があるが、二昔となると時代がほとんど合わない。AKB48は皆同じ顔に見えるし、ももクロに至ってはメンバーの顔はおろか、名前もグループの正式名称さえもこちらは知らない。
 それぐらいならまだいいが、読んでいる本が違う、ニュースを見ても映画を見ても感じる箇所が違う。そういうこともあり「あれ」が通じない。共有しているベースが違うから仕方ないというか当たり前なのだが、そういう時に赤瀬川原平氏のように「老人力」が付いてきたとポジティブに言えるほどの余裕がこちらにはない。

 とにかく、昨年後半からこの老人力がやたらと付いてきたものだから困っている。
例えば皮膚の温度感覚。外回りの仕事をしているわけではないこともあり、昔から冬でも肌着は半袖だし、ズボンの下にステテコ(股引き、ぱっち、レギンス)を履いたことはなかったが、昨冬からステテコを履く回数が増えてきた。
 まあユニクロなどが若者向きにステテコを売り出したり、「ヒートテック」を売り出すぐらいだから、寒さを感じる度合いは若者とそれ程差がないのかもしれないが、身体の保温力・保湿力がなくなってきたのは事実だろう。
 そうなると身体のあちこちに勤続疲労が出てき、メンテナンスが必要になってくる。かくして診療所通いが増えてきた。
 昨年末も内科、脳神経外科、皮膚科と診療所廻りだ。脳神経外科は頭痛で通院。といっても2箇所の診療所にそれぞれ1回行っただけだが。頭痛で医者に診てもらったのも初めてなら、脳神経外科に行ったのも初めてだが、この時初めて頭痛が脳神経外科の診療科目だと知った。
 
 頭痛が1週間余りも続いたこともあり、念のためMRIまで撮ってもらったが結果は小さな梗塞が2箇所と毛細血管の詰まりが見つかった程度で、「心配するような病気はありません。この程度の梗塞は年齢相応ですから」と、医師に軽くいなされた。
 かと言って安心と言い切れるものではないと思ったが、まあ差し当たってどうこうはなさそうだったが、近年の物忘れはこのせいかと一人納得。

 頭痛はしばらくして治ったが、今度は年が明けて皮膚科の世話になった。この冬はやたら体が痒くて、ついつい掻くものだから少しただれていたので、この際と思い皮膚科に行ったのだ。
 結果は冬に多い乾燥肌で「歳を取ると潤い成分がなくなりますから肌が乾燥してあちこち痒くなるんですよ」。
 またここでも「歳相応」と言われ、ガックリしていると、「そんなにショックですか」と笑われた。
 冗談じゃない。歳相応なんて認めるものか。年を重ねただけで人は老いるのではない。人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる、とサムエル・ウルマンも言っている。「歳だから仕方ない」というのは何の慰めにもならない。

 だが、医師と話をしていて、なぜ今冬突然乾燥肌になったのかが分かった。エアコンのせいである。エアコン嫌いだから冬でもエアコンを入れることはなく、ずっとオイルヒーターで過ごしてきた。ところが、今冬はさすがに寒くエアコンに頼ったのだ。「加湿器は使っていますか」と医師から問われ、使っていると答えたが、それでもまだ加湿が十分ではなかったらしい。
「室内に洗濯物を干したり、タオルを濡らして干しておくといいですよ」
 そう、昨冬まではその方法を取っていたのにエアコンを使った途端に忘れていた。だが、原因が分かれば対処できる。歳のせいで急にあちこちおかしくなってきたかと内心恐れたが、そうでもなさそうだと分かり取り敢えず安心した今日この頃である。




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