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「やらせメール」問題の対応に見る九電トップの驕りと勘違い(2)


初期クレームの処理が遅れると
致命的なダメーを受けることに

 のっけから個人的な失敗談で恐縮だが、久し振りに大失敗をやらかしてしまった。
本稿の2回目配信は細かいところの修正を残すのみで、いつでも配信できる状態だった。ただ、週末にかかったこともあり、岡山に行ってから配信しようと考えていた。ところが、いざ配信の段になって原稿が見当たらない。完全に消えてしまっていた。
 私はノートPCを3台持っており、1台は福岡、もう1台は岡山に置き、後1台のミニノートを出張用に持ち歩いている。昔はデータを各PCに移していたが、Dropboxというソフトを知ってからデータは皆ここに保存するようにしている。ネット上のサーバーを利用する方法でクラウドコンピューティングだ。この方法の利点は、ネットに接続できる環境さえあればいちいちデータを持ち歩かなくてもどこでも利用できることだ。このソフトを使い出してからデータはいつもネット上に保存するようになり、それぞれのPCにコピーする手間が省けるようになった。
 ところが、どこでどう操作ミスをしたのか、いつものようにデータを開いたら書きかけの原稿がどこを探しても見当たらない。原稿が完全消失、こちらは茫然自失。気を取り直し、鈍った頭を活性化させるべく叩き起こし、新たに書き直すことにしたという次第。

 さて、九電の真部社長である。海江田万里経産相(当時)から「組織のトップが責任を取るのは当たり前だ」と辞任を迫られた結果とは言え、「当初から自分に全責任があると申し上げている。私の個人的な思いとしては決まっている」と辞意を表明し、「今回のことは社会の常識や倫理に反することだ。経営層を含めコンプライアンス意識の希薄さが主な原因と考える。原因分析を行い、信頼回復に全社員一丸となって取り組む」と述べた時は少し評価した。まともな感覚を持っているではないか。

 ところが、その後がいけない。九電、松尾会長と会談した直後から態度を豹変し、開き直り、居座りだしたのには驚いた。その真部語録たるやスゴイ。
「第三者委員会は解散しましたので元委員長郷原氏がなにを言おうとも外部の人ですから関係ありません」
「(郷原氏は)もう委員長でもない。これ以上こだわって欲しくない」
 誰もが耳を疑ったと思うが、聞き間違いでも何でもなく、九電トップが記者会見の席上で発した言葉である。こういう人がやがて九経連の会長に就任するのだからね。
 それにしても、ここまで言われると、なんのために第三者委員会を設定したのか。その目的自体を疑ってしまう。
 恐らく「元特捜検事、郷原信郎」というブランドを都合よく利用したかっただけなのだろう。ところが意に反して、第三者委員会が「やり過ぎてしまった」。そこまでしてもらわなくてよかった、もっと言えば、余計なことをして、ということだろう。

 実はこうしたことはよく目にする。九電はバカなことを、と笑うのではなく、それぞれに「他山の石」として欲しいものだ。
 よく見かけるのは社外者として交流、付き合っている時は話によく耳を傾けてくれたトップだったが、いざ請われて入社した途端、ワンマン振りを発揮して一切聞く耳を持たなくなったという例。
 顧問も似たようなものだ。黙って話を聞いたり、トップの方針に賛成している間はいいが、ひと度諫言めいたことでも言おうものなら掌を返したような態度になり、顧問契約を打ち切られた、というような話もよく耳にする。
 両者に共通しているのは、イエスマンしか求めていないということだ。
こういうタイプに限って権力にしがみ付く。

 社長が社長なら前社長(松尾会長のことだが)も同じで、こちらの語録も負けず劣らずすごい。
「辞任に値することか。なぜ辞めないといけないのか。これだけ(原子力発電所の)再稼働が遅れたら、九電はつぶれる」
 要は自社のことしか頭にないということだ。くどいようだが、これで九経連の会長。
「不祥事が起きた場合、部下や秘書がやった、ではなく、トップは潔く責任を取るべきだ。そうしたリーダーが率いる組織は立派な組織になる」(8月8日、全国の高校生約160人が参加する「日本の次世代リーダー養成塾」における松尾九電会長の講演)
 いずれも耳を疑う。潔く責任を取らないのが九電の会長、社長だというのに。そもそも真部氏が辞任すると言ったのを引き止めたのは松尾会長で、真部氏が引責辞任すると、会長の自分も引責辞任せざるを得ない羽目になるからだろう。

 不思議なのは九州のマスメディアの対応である。九電トップの公益企業としての責任、倫理観のなさ等を厳しく追求する論調はほとんど見られない。メディアは財界のPRツールと化し、ジャーナリズムなどはどこを探してもない。メディアも広告収入に頼らざるをえず、スポンサー企業には弱いという事情も全く理解出来ないわけではないが、だとすればジャーナリズムの看板は下ろすべきだろう。

 九電トップはいずれ追い詰められて辞めざるをえないだろう。再び言うがこれは対岸の火事ではない。どの企業でも起こりうることで、最初のクレーム対応を間違うと逆に傷口を広げていく。
 最近、このようなパターンで会社を負われる創業者一族も多い。「会社は公器」という人は多いが、果たしてそのことを自身がどこまで理解しているか。



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