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小沢一郎、もう一つの顔に注目を(2)
〜小沢叩きこそが政治を停滞させる


 「小泉改革」の時には「痛みを伴う」という言葉にいとも簡単に騙され、その時の反省からか、それとも自らの生活レベルは一切変えたくないからなのか。いや、そんなことはなさそうだ。庶民レベルでは節電は結構行われている。それでもムダな電力使用はまだ多い。
 この国がいかに電力を使用し、光で溢れているかは宇宙から見るまでもない。日が暮れてからちょっと街に出るだけですぐ分かるだろう。イルミネーションが目に目映いばかりにキラキラしているし、タワーには「天の川」を模したイルミネーションまで点灯している。こうしたイルミネーションは本当に必要なのか。すると申し訳程度に「LEDに替えたり、消灯時間を30分短縮し、前年に比べ20%使用電力を削減」と弁解する。点灯しないという選択は最初からないのだ。一事が万事。すべてこんな具合だ。
 電力会社の支配から脱するには電力使用を抑えるのが一番。逆に電力会社を兵糧攻めにするぐらいのことをすればいい。

 話が少し横道に逸れたが、民主党が約束したムダの削減はほとんど実行されないままだ。ショー的に行われた「事業仕分け」で仕分けされた事業もその後なし崩し的に復活しているし、整備新幹線未着工区間、高速道路建設などは次々に着工へのゴーサインが出ている。「コンクリートから人へ」という政権奪取時のスローガンはもう完全に死語になってしまった。
 民主党のこうした体たらくを許しているのはマスメディアと、かつては熱狂的に政権交代を支持した国民自身である。

 マスメディアの役割はこうした現実を国民に知らせ、民主党に政権奪取時の約束を果たすよう迫ることだ。にもかかわらず彼らがやっていることは不完全な「事業仕分け」、ムダの削減結果を全てと捉え、それ以上にムダを削減する努力を促すのではなく、マニフェストの「いい加減さ」を取り上げ、自民党と一緒になってマニフェストの修正・撤回を声高に唱えることだ。
 その先にあるのは「マニフェストを守れ」という勢力叩き、政局煽りである。
マスメディアが小沢氏を憎むのは多少理解できる。彼は記者クラブを嫌い、早くから大手メディアで構成される記者クラブではなく、雑誌社やフリーの記者などに会見の門戸を開いてきたからだ。どこの世界、どの分野でも既得権益を脅かす人間は嫌われる。それはメディアやジャーナリズムの世界でも例外ではない。
 かくしてマスメディアはことあるごとに小沢氏を叩き、小沢悪人説を作り上げ、政局の話に矮小化していく。

 もちろん私とて、小沢氏を高尚な政治理念を持った、清廉潔白な士とは考えていない。特に後半の部分に関しては。どの世界でも権力闘争の部分はあるし、個人的な野心は存在する。とりわけ政治の政界では、この2つと無縁な人物は少なくとも注目される政治家にはなれないだろう。だから、小沢氏を「権力者」として捉える見方を否定しない。が、毎回それだけでは肝心な部分を隠し、国民に誤った選択をさせることになる。
 その反省を戦後、そして先の郵政選挙の直後に大手メディアにいた人達はしたはずだが、それともあれは遠い過去のこととして忘れ、葬ったのか。

 必要なのは現象面を捉え、政局論に矮小化することではなく、その奥にある本質に迫ることだ。当の政治家が政局で動こうとしている時、彼ら自身に本来の目的を気付かせ、政策を実施する方向を示すことだろう。
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