デル株式会社

 


ドン・キホーテか変革者か
〜東京都知事選はパラダイムの争い


 東京都知事選の様相が変わりそうな気配になってきた。
つい先日まで大本命は舛添要一氏だったが、細川護煕元首相が出馬表明したことで、いきなり不透明感が漂い始めた。
 舛添陣営の楽勝ムードは吹き飛ばされたし、早々と衆議院議員を辞め、日本維新会も離党し、都知事選出馬発表のタイミングをじっと窺っていたはずの東国原英夫氏は細川氏出馬に話題をさらわれ、タイミングを失し、都知事選不出馬にほぼ追いやられたようだ。

こんなにある「殿」の不安要因

 ところで、細川元首相の都知事選出馬をどう見るのかという問題である。
1.殿のご乱心
 政界引退していた元首相コンビ(小泉元首相は積極的に支援すると言明)がいまさらなにを、という見方はたしかにある。
2.都政と国政を一緒にするな
 細川元首相の都知事選出馬は原発問題が契機になっているが、エネルギー政策は国の問題で都の問題ではないという牽制球は自民党側から飛んできている。
3.年齢を不安視
 1月14日で76歳という細川氏の年齢を不安視する意見が存在するのも事実だ。そして、その意見は東京オリンピック開催時の都知事と関連付けて言われている。
4.生活者の視点が欠落している
 東京都が抱えている問題は原発より、もっと都民の生活をどうするかというより切実なことがいくつもあるのに、「脱原発」か否かという二者択一問題に単純化されるのは危険だという見方である。これは最も常識的な見方だろう。
5.猪瀬前都知事と同じ
 細川氏には政権を途中で簡単に放り出した過去がある。その時の事情が猪瀬前都知事と似ている。猪瀬氏は徳田氏からの5,000万円。細川氏は東京佐川急便からの1億円。両者とも個人的な借金で、すでに返済したと主張しているところも似ているが、未だはっきり決着が付いていない点も同じだ。同じといえば共に領収書が既製品のお粗末な点まで似ていて、週刊誌の中には今後この点を集中的に攻撃しようとしているところもある。

 政治家が任期途中で辞める理由は二つしかない。一つは病気で中長期入院せざるを得なくなった場合。もう一つは不正献金等、金にまつわる問題が暴露されそうになり、すべてが白日の下に晒される前に辞める場合だ。後者の場合、表向きの理由は「病気」と発表されることが多いが。
 そしてほとぼりが冷めた頃、再び政権トップの椅子に座った者もいるから、細川氏の「カネ」の問題も今後追求されることは十分考えられる。しかし、反細川陣営、特に自民党がそこを標的にすればブーメランのように自らに返ってくることにもなりかねない。それとも知らぬ存ぜぬ、あれは病気で押し通すだろうか。
 だが週刊誌等が突いてくることは十分ありえるし、すでに問題にしている週刊誌もある。まさか政権側の意を代弁した行動ではないと思いたいが。

「権不十年」に隠されたもの

 以上の指摘はいずれもご尤も、おっしゃる通りである。
政界を引退して20年、というか20年前に政権を放り出して辞めた人間が何をいまさらという感はたしかにある。
 この人、権力に執着心がないのかあるのか分からないところがある。熊本県知事を辞めたのは1991年だが、その時に言った有名な言葉がある。「権不十年」。同じ者が権力の座に10年以上いるべきではない、という意味で、細川氏は2期8年を務めて辞め、その後熊本を離れた。
 権力の座に恋々とせずスパッと辞めたところは潔ささえあったし、当時そうした行動を讃える声があったのも事実だ。しかし、熊本県知事を辞めた後、竹下登氏に会い、東京都知事にしてくれと談判して一蹴されたという話もあるから、案外権力欲は強いのかも分からない。

 余談だが、私は細川氏が県知事を辞めて間もない頃に熊本で取材したことがある。その時は政治がらみの話ではなかったが、取材を終えた後、この人は徹頭徹尾、東京志向で、地方のことはほとんど考えてなかったのだなという印象を受けたのを今でも覚えている。
 その後、前記の話を聞き、熊本県知事を辞めた理由もそういうことだったのかと妙に納得したものだった。となると、東京都知事への挑戦は今回が2回目ということになるか。

 さて、今回の都知事選の構図である。細川氏に対しては巷間色々言われているが、人は変わるものである。突然、政権を放り投げた人でも再チャレンジでうまくいっている人もいるし、現職時代の原発推進を反省し、脱原発に方向転換した人もいる。
 個人的には基本的見解、理念をコロコロ変える人は信用していないが、反省して、変えることはいいことだ。過去はそうでも、現在は変わった、と思いたいし、そうあることを願いたい。

選挙戦の真の構図は

 細川氏の出馬表明で大きく変わったものは何か。
議会との関係がよく、そこそこ行政手腕がある人物−−これが猪瀬都知事辞任直後の次期都知事の条件だった。そして最も近かったのが桝添氏だ。
 ところが脱原発を旗印に細川氏が出馬する意向を示したことで、選挙戦の様相がガラリと変わってしまった。しかも、小泉元首相とタッグを組んでの登場だから、慌てたのは自民党。国政と都政は違う、と早々と牽制球を投げ出したが、こうした動きは実際の選挙戦が動き出すとさらに強まるだろう。そして同調する意見も増すに違いない。反細川で言われていることは一見その通りだからだ。

 だが、都知事選の本当の対立構図は脱原発かどうかではない。そのことを細川氏自身は明確に認識していないかもしれないが、小泉元首相の方は認識しているように見える。
 小泉氏は首相時代、新自由主義経済政策を徹底的に推し進めた男だが、政界を退いた後、どうも新自由主義の立場を捨てたように見える。特に次のような発言を聞くと。
「『原発ゼロでも日本は発展できる』というグループと、『原発なくして日本は発展できない』というグループとの争いだ」
 彼一流の単純化した対立構図の言い方だが、細川・小泉タッグの共通認識をよく言い表している。この言葉に細川氏の「東京オリンピック見直し」発言を重ね合わせる時、彼らが(意図しているか否かは別にして)目指そうとしているものが見えてくる。それはパラダイムの変換である。

 経済最優先を推し進めたのはほかならぬ小泉元首相だが、その小泉氏が目先の経済発展より、幸せとは何かを考える方向に舵を切ったのだから面白い。
 彼の嗅覚は鋭いから、いま世界のパラダイムが変わりつつある、変わろうとしていることを感じたのかもしれない。
 しかし、旧世代の連中はパラダイムの変化を認めようとしないだろう。まさに「抵抗勢力」として細川・小泉タッグの前に立ちはだかるに違いない。様々な「常識」を駆使して。
 そうした包囲網を打ち破る方法は一つしかない。「常識」的な旧世代ではなく、すでに新しいパラダイムに立っている若い世代を味方に付けることだ。この若い世代=新パラダイムに立っている世代に勝手連的な動きが出た時に細川・小泉タッグの勝機が来るだろう。果たしてその世代を動かせるかどうか。

 今回の都知事選は年寄りの闘いになっているのが残念だ。本来なら若い世代が出るべきだし、若い世代こそがパラダイムの変換を旗印に闘うべきである。
 だが、それがない以上、老骨に鞭打って出る細川氏を、巨大な風車に老馬と共に立ち向かっていくドン・キホーテと嘲ることはできないだろう。


ソニーストア


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る


MIZUNO SHOP ミズノ公式オンラインショップ



サントリーウエルネスオンライン