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間違った帝王学-児孫の為に美田を買うな!(2)
〜子を潰しているのは親の方だ


 大王製紙の場合でも、一度は父親に咎められ、一部を返済し、社長を辞して会長職に就いている。同じ取締役会でほかの取締役11人も退任・降格しているから、責任を取らされてのことと思われる。
 それでもここまでだ。本来なら一気に経営陣から外すべきなのに、やはり親の情が勝ったのだろう、そこまではやれなかった。そのことが却って本人にも会社にも悪い結果となった。

 取締役会は何をしていたんだ、と責める声があるのは当然だ。しかし、オーナー企業では上場企業といえども「この会社で反対できる人は誰もいない」のが現状だ。いわんや中小零細企業ともなれば「社長に反対はできない」。
 「我々もサラリーマンですから、それぞれ生活もあります。社長に息子は能力がないとは言えませんよ。黙って従うしかありません」
 こういう声がある。分かってはいても、自分達の生活のことを考えれば黙って従うしかないということだ。

 しかし、これは2つの意味で危険である。
 1つは会社の存続。
 能力のない息子が跡を継いで社長になればどうなるかは今更言うまでもないだろう。早い時期に会社は倒産する。社内外から舐められるからだ。表面的には煽てられる。
「会長よかったですね、立派な跡継ぎが決まり」「社長就任おめでとうございます。お祝いを兼ねて一杯」と親子共々煽て上げられ、息子はそれに気をよくし、諫言する者は遠ざけ、甘言を弄する者ばかりと付き合うようになる。結果は火を見るよりも明らかだが、当事者だけはその火が見えない。
 そうなってもよければ、バカ息子に跡を継がせることだ。

 2つめは会社に不正がはびこる。
 能力のない人間がトップになれば、下の人間に不平が溜まる。不平は不正を生む。
 この会社は俺のお陰で持っている。俺がいなければこの会社は、この部門は回っていかない。
 力がある社員、少し頭のいい社員はそう考える。また、取引先等からもそう煽(おだ)てられる。やがて自らの決済の範囲を超えて決済しだす。不正の発生である。
 上が腐れば下も腐る。大王製紙の場合、意高前会長だけでとどまるか、オリンパスはどうなのか。

4.子を潰しているのは親の方

 問題は子より親の方である。三国志に出てくる蜀の国を滅ぼしたのは創業者、劉備玄徳と言えなくもない。劉備は我が子、禅かわいさに、諸葛亮に次のように遺言する。
「もし嗣子輔(たす)くべくんば、これを輔(たす)けよ。もしそれ不才なれば、君自ら取るべし」
 これを聞いた諸葛亮は言う。
「臣敢えて股肱の力を尽くし、忠貞の節をいたし、これに継ぐに死をもってせん」と。

 現代風に言うなら、社長が筆頭取締役に、もし息子が経営者の器でないと思えば君が社長になり会社を守って欲しい。だが、もし息子に社長業が継げそうだと思うなら、息子を補佐して会社を盛り上げて欲しい、と頼む。すると、それを聞いた取締役達は生命ある限り息子を支え、会社を守っていくと約束をする。
 結果、蜀という国はどうなったか。滅びてしまったのである。
もし、この局面で劉備が諸葛亮に「息子の能力がないことは分かっている。丞相、跡は君に任す。君が国王になり蜀の国を継いでくれ」と言い残していれば、結果は少し違っていたかもしれない。これは遠い三国志の世界の話ではない。中小企業ではいまでも日常的によく見る光景である。

 能力が多少劣るぐらいならまだいいが、致命的な欠陥があると分かっていても、親は贔屓目で見るから目が曇っている。社員を見る目は厳しいのに、我が子を見る時は曇りガラスのメガネをかけているのだ。
 社長業を継がされた息子の方も不幸だろう。本来不向きなことをやらされるのだから苦痛かもしれない。
 にもかかわらず、なぜ息子は跡を継ぐのか。
それは親がそれを望んでいると息子が感じているからで、親の期待に応えるのが親孝行だと考えているからだ。言い換えれば、優しい子が多いということだろう。
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