ケータリング事業を インドで開始し大ヒット
-- 澤山グループの海外進出としては最初はどちらに? 澤山 36年前にインドのボンベイに支店を出したのが最初です。次が台湾でその次がシンガポールですが、支店として登録しているのはインドのボンベイです。台湾は合弁企業、シンガポールは別会社で運営しています。
--インド支店はどういう経緯で出されて、どういうことをおやりになられていますか。 澤山 もともとうちは船舶代理店業で、これは海外の船が日本に入港すると水や必要な物資を供給するという仕事です。インドは昔は国営会社が船を運営しており、今もシッピングコーポレーション・オブ・インディアという国営の大きな企業がありますが、そこと36年前に日本の代理店契約をしていたといういきさつがあります。 インドも3、4年前から自由化路線を歩み始め、欧米もアジアの中では中国に次ぐマーケットがインドだということで盛んに投資が行われたんですが、95年に政権が変わり、それまでの行け行けドンドン的な政権から足元固めの政権に変わりました。それで投資環境が非常に変化し、インド自体の景気も今そんなによくないんですが、我々は国営企業を相手にしていますから民間ほど打撃はないわけです。グループ企業にラジャークリュシュナーという会社があるんですが、ここがケータリングの仕事をしていますが、これが大ヒットしましてね。
--ケータリング事業ですか。 澤山 今、インド国内では火力発電などいろんなプロジェクトが進行していますが、日本からもタイヤメーカーや自動車メーカーなどが工場展開のプロジェクトをいろいろ進行しています。そうすると食堂を作らなきゃいけない。日本の企業の中にもケータリングの会社はあるんですが、世界に出ていった場合は現地人を使ったりいろいろですから不得意なんですね。ところが世界のケータリングビジネスはほとんどインド人か中東人なんですよ。インド人は非常に労働単価が安くて英語が喋れるというと特徴を持っていますから、比較的ケータリングビジネスに向いているわけです。その点、うちの場合は30数年前からインドの国営船会社と仕事をやってたので、インド人との人脈ができ、ケータリング事業を開始したというわけです。 今、世界で比較的プロジェクトが動いているのは4つの地域です。一つはアフリカの象牙海岸、もう一つはインド。それから中央アジア。そして中国の内陸部です。日本のマスコミは比較的、日本企業のプロジェクトしか報じませんが、世界の企業はこの4大地域で非常に動いています。それで我々のビジネスもどんどん出ていこうと考えています。 今後は長崎にいるからとか、日本にいるからとかいうことじゃなくて、積極的に海外に仕掛け、出て行こうと思っています。できれば今度、日本にインドの会社と合弁で企業を作り、日本の企業が海外でいろんなプロジェクトを進行させる時に、ぜひケータリングには当社を、というアプローチを始めていこうと思っています。
--海外に進出する前から話をしていこうと。 澤山 すると少なくとも日本の会社は最初からできるからですね。インドのラジャークリュシュナーはロンドンマーケットに上場しているフランスの企業に半分出資してもらっていますので、世界に名が売れています。ですから世界の会社は日本でビジネスしなくても引っかかってきますので、これはどんどんやっていこうじゃないかと。そして我々はまず国内で三菱系、三井系に食い込み、伸ばしていきたいと思っています。
危機感をバネに 新規事業にチャレンジ
--本業が船舶代理店というある意味で安定した仕事で、しかも老舗の企業ですから、新しいものへのチャレンジは比較的少ないのではと思っていましたが。 澤山 守るということは非常に大切なんですが、私どもの場合、海運が主力できましたので、どうしても国の方向性に左右されます。中小海運は切り捨てて大手の系列に統合するというのが国策だと思うんです。うちも商船三井のグループに入っています。ま、食べてはいけるかもしれないけど、ぼくとしてはもう下降気味の業種だと見たんです。で、なんとか信用があるうちに新しい分野にチャレンジしたいと。やっぱり危機感はものすごくありました。それと同時にチャレンジしなきゃいけないという思いも。それでコンピューター会社を作ったり、日本モトローラーと共同出資で長崎スカイコールという業務用無線の会社を作ったりと、いろんな事業に手を出してきました。長崎スカイコールは平成元年の設立以来連続利益出している優良企業なんです。
--モトローラーとはどういうきっかけで……。 澤山 三井物産におった時、AT&T社の担当だったんですが、その関係でモトローラーにも出入りしてたもんですから、こういう事業をやるんだが一緒にやらないかと持ち掛けたわけです。当初はポケットベルの九州全域の代理店もやってたんですよ。ポケットベルが盛んになる頃にですね。その後、無線事業を始めたわけです。 海外に出て行ってする事業と、日本の中でパートナーシップを組む事業、それから向こうに言わせる事業ですね。距離のアドバンテージを持っているから、こっちから言うんじゃなくて向こうから来ていただくようなニーズをこちらから掘り起こす。そういうものをしていきたいなと思っています。 キャッチアップというのは九州の企業でもできると思うんですよ、別に中央でなくてもね。インドでの動き、日本における提携という話はしましたが、今度は欧米の企業と連携して対中国ビジネスに対するインフラ構築ですね。長崎から名古屋までと、長崎から上海までの距離はほとんど同じなんですね。そうすると長崎から名古屋まで情報回線を敷くのと、陸上と海という差はあるにしても上海までのコネクティングルートはできるわけです。そのためにはやっぱり欧米の動きをよく睨んどかないとニーズが出てこない。欧米の会社とよく話して、中国側とよく話して、むしろ中国政府から日本とコネクティングを結びたいと言わせるように持っていきたいと今考えているんです。
情報インフラを構築し アジアの情報のハブ化を
--九州はアジアに近いと言いますが、物理的な距離の近さや過去の歴史的なつながりだけに頼っているとやっぱり東京に持っていかれると思います。労賃だけを求めて行くとか、一山的な感覚で出て行くのではなく、本当の意味で今後アジアとの関係をどうするのか。そこを考えなければいけないんではないでしょうか。 澤山 九州がアジアに近いからって、大手は出て行ってもメリットはあると思うんですね。だけど中小が出て行ってすぐビジネスになるのはなかなか難しいと思う。だったらいま混沌としている東南アジア情勢の中で情報産業のハブ化ができないだろうかと思っています。中国・東南アジアなど大陸系の情報を上海に集中させる動きをするわけです。そして長崎ー上海間に情報インフラを構築しておけば、長崎が基地になってその情報を受け入れることができる。そういう将来に向けたナショナルプロジェクト的な仕掛けをしていくことも必要ではないかと思います。 今空港の問題ばっかり言われていますが、数量ベースで言うと日本の物流の99.8%が海貨で、エアーカーゴはわずか0.2%に過ぎない。金額ベースに直すと海が8割、空が2割です。日本の国家プロジェクトとしてはまだ海なんですよ。海を強化しないと韓国・釜山港、上海にやられます。物流のハブ化では多少遅れていますが、情報産業はまだフレッシュですから、情報のハブ化をしようじゃないか、上海との窓口は九州でぜひ取ろうじゃないかと言っています。 澤山は非常に消極的だ、分相応な動きしかしない、と言われるんですが、分不相応なことをするから動けないんですよ。言葉ばっかりで動ける力がないと、なんだ言うだけじゃないかとなる。だから分相応なところでするのがいい。着実に少しずつ仕事を増やしていくのがぼくの方針です。そうするとなんとなく茶せんみたいな感じになっていくんですよ。名前はないけれど茶時になくてはならない茶せんのような存在で一生終わりたいと思っています。
<プロフィール> 昭和25年7月生まれ。長崎東高校卒。48年慶應義塾大工学部管理工学科を卒業し、同年三井物産入社。14年間の商社マン生活のうち10年は情報通信分野を担当。父の病気で帰郷を決意。63年6月澤山商会入社、平成3年代表取締役社長就任。長崎通関業会会長、長崎駐在フランス名誉領事、裏千家淡交会長崎副支部長。趣味はゴーカート、焼き物、絵。酒は全く飲めない。 |
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