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大型店に流れる消費者を、地元小店舗に呼び戻すには(2)
〜郊外型大型店が抱える弱点〜


郊外型大型店が抱える弱点

 本来、消費者あっての小売業が消費者を置き去りにし、自らの成長を第一に考えだしたのはいつ頃からだろうか。それは少子高齢化が進みだした頃からではないだろうか。生産人口の減少で購買力が伸び悩みだすと人口の二極化が進み、都市部は人口増、地方は人口減から過疎へと進んできた。
 それと同時に都市部への大型店出店は、より出店コストが安い(同一コストならより広い面積が確保できる)郊外に移っていった。そして店舗はより大型化していったのだった。
 背景に「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした大規模小売店舗法(大店法)の規制緩和、廃止があったのはいまさら言うまでもないだろう。そして廃止を強く迫ったのは国内の大手流通業界ではなく、アメリカのそれだったのも。つまり外圧に屈した結果である。
 だが、それ以降の責任はトイザラスやコスコなどの米流通業界ではなく、ダイエーやイオンに代表される国内の大手流通業界にある。
 資本主義が市場をグローバルに求め、飽くなき自己増殖を続け、ついには強欲資本主義と呼ばれるまでになったように、歯止めがなくなった大型量販店は適正規模を忘れ、ひたすら自己増殖が目的であるかのように店舗面積の拡大に走ったのである。「消費者のために」という旗を掲げながら。

 しかし、ここで言われている「消費者」とは「一部の消費者」のことである。にもかかわらず、大手流通業は「一部の」を省いて、あたかもすべての消費者のためであるかのごとくに言ってきたところに問題があった。
 それは車を運転できる消費者であることが大前提なのだ。それ以外、つまり車を運転できない人や高齢者は「消費者」から除外されているのだ。
 このように郊外の大型店舗はその出発点からして消費者一般を相手にしたものではなく、セグメントした消費者を相手にするという至って資本主義的な発想で作られた店舗だったのだ。
 であるが故にスタート時点から弱点を抱えていたが、経済がまだ拡大期にある時期、あるいは高齢化が都市部でも問題になり始めるまでは、まるで台風のように既存の小売店、つまり駅前商店街や住宅地の中小型スーパーをなぎ倒し、自らの腹を満たしてきた。

 こう見てくると、頭のいい読者はすでにお気付きだと思うが、郊外型大型店舗は「車を運転できる消費者」を対象という大前提の下に成り立っているわけで、この大前提が崩れれば彼ら自身の存在も危うくなる。そしていま、そうなりつつあるのだ。急激な高齢化の進展で。その一方で、若者の車離れも進んでいる。
 つまりアメリカを見本にした流通業モデルは成り立たなくなりつつあり、今後もこの流れが変わることはない。となると、従来の成功モデルを変える必要があるが、ソフト面の変更はできてもハードはそう簡単には変えられない。特にハードが巨大であればあるほど、取り壊すのも、撤退も難しくなる。地権者や行政との契約等もあるだろうが、違約金を払ってでも撤退すれば、あとに残るのは廃墟と化した巨大な構築物のみ。
 それだけならまだまし、というのは少し言い過ぎかもしれないが、周辺に出現した広大な商業真空地帯の方がよほど問題である。大型商業施設が閉鎖されても、地域の商店街や小型スーパーはとっくになくなっており、あるのはコンビニだけという有り様で、いまさら元に戻るわけでも戻せるわけでもない。
 特に深刻なのが大型団地。かつて団地内で栄えた商店や小型スーパーはとっくの昔に姿を消しており、買い物をするためには近隣のスーパーまでバスかタクシーで行くしかない。都市部にいながらこの有り様だから、過疎化した地方の住民と何ら変わるところはない。

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