ミネルヴァのフクロウは飛ばない。(1)


 ミネルヴァのフクロウは日暮れとともに飛び立つ、はずだ。しかし、闇が辺りを包んでいるというのに、フクロウは一向に飛び立つ気配さえない。夜道は知の光で照らされることもなく、方向を見失った人々は右に左にウロウロ。挙げ句には互いにぶつかり、怒声を飛ばし、殴り合いを始め、いまやこの星は「人でなし」と「人でなし」が住む国ばかりになってしまった。
 いまほど知が、哲学が必要とされ、待ち望まれているにもかかわらず、ミネルヴァのフクロウは飛ぼうとしない。哲学は滅んだのか。それともこの星そのものが滅亡の淵にあるのか。

 説明の付かない現象がこの星のあちこちで起きている。顕著になったのはこの数年。人々は倫理やモラルを忘れ、職業の如何にかかわらず、自らの欲望を満たすためにだけ行動している。
 些細な理由で親が子を殺め、子が親を殺す事件が相次いでいる。耳したがうと言われた60歳を超え、心の欲する所に従えど矩(のり)を超えないはずだった70歳を10年前後も超えた人が、長年連れ添った相手を殺す昨今の風潮(?)は背筋を寒からしめるに十分すぎ、いくら考えても決して自分には理解できないことと知り、ただただ首を振り嘆くばかりだ。
 元々貧弱な想像力しか持ち合わせてない身だが、その想像力をはるかに超える出来事ばかりが起こるのはなぜなのかと、これまた灰色の頭脳を駆使して考えるも理由、動機は言うに及ばず、およそきっかけすら納得できる説明、解説をすることもできない。できるのは小説より奇なる事実を前にして、ただオロオロと狼狽えることばかりである。

 ああ、一体いつから、なぜ人は人間をやめようとしだしたのか。
この頃、目に付くのは「理由なき殺人」。「理由がない殺人はない。どんな犯罪にも必ず理由はある」と言う人もいる。しかし、その場合の「理由」とは本人にしか分からず、他人にはとても理解できない、理由とは言えないような理由。言うならば自分勝手な理由としか思えない。
 「相手は誰でもよかった」「死刑になりたくて」「人を殺してみたかった」。最近、こうした言葉をよく耳にするが、あまりに身勝手。ゲームの世界ではない。「リセット」などという言葉がやたら使われるものだから、現実世界(これを「リアル」と表現する異常にさえ気付いていないのがいまの社会だ)との区別すらできず、本当に「リセット」ができると思っているとしたら、こんな恐ろしいことはない。とても同じ世界に住む、同じ人間とは思えない。

 15、16歳で殺人に興味を持つこと自体異常だが、よしんば興味を持ったとしても、それをなんら躊躇せず実行に移すことが恐ろしい。理解を超えている。
 かつて「新人類」という言葉が流行った時代があったが、「リアル」と現実、リアルとバーチャルの区別すら付かない「イマ」を漂流している彼・彼女達をどう命名すればいいのか。「ミュータント」とでも言えばいいのだろうか。まさに「突然変異」で人間社会に現れた「生物」。人の心を持たない「人類」のように思える。

                                               (2)に続く

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